川上哲治大先輩の「お別れの会」に、東京熊工会から井上会長他役員が参列しました

12月2日都内のホテルで行われた、川上哲治大先輩の「お別れの会」に、東京熊工会から辻及び篠塚両相談役並びに井上会長、松本副会長、上野事務局長の5名が参列し、故人を偲ぶと共に献花をさせていただきました。

「お別れの会」の様子は、既にテレビ等で報道されていますので割愛させていただきますが、祭壇には天皇陛下より一般の香典に当たる“際粢料(さいしりょう)”が供えられていました。
代表献花に続き指名献花では、母校を代表して熊工野球部OB会会長の小田浩二氏(土木S45)が指名され花を手向けられました。
学校、熊工会及び野球部から、東京熊工会参列者を含め以下の11名の方々が参列されました。

・熊本工業高校  ;飯川幸眞校長、林野球部監督他3名
・熊工会     ;主海偉佐雄会長、西本悟事務局長
・熊工野球部OB会 ;小田浩二会長
・東京野球部   ;島田相談役(巨人軍OB)、前田益穂氏(プロ野球OB)、坂井氏

<川上大先輩の93年>
1920年 熊本県人吉市に生まれ。熊本県立工業学校(現熊本工校)で投手として活躍。
1936年 春の選抜中東学校野球大会で準優勝。この決勝戦終了後に甲子園球場の砂をユニホーム
のポケットに入れ、母校のグラウンドに撒いた。甲子園の砂の持ち帰り1号とされています。
1938年 在学中、バッテリーを組んでいた吉原捕手(故人)と共に投手として巨人に入団。当時
の藤本定義監督(故人)に打力を認められ一塁手に転向。
1940年 打率338を記録し、史上最年少の19歳で首位打者をなる。
1943~45年 兵役
1950年 多摩川グラウンドでの打撃練習中に「ボールが止まって見えた」と。
1956年5月31日 中日戦でプロ野球初の2000本安打達成。この到達試合数1646試合は日
本プロ野球最速記録です。
~1958年 長嶋終身名誉監督に譲るまで、4番打者を守り抜いた。この間、大下(故人)
青バット、川上の赤バットは、トレードマークになり一世を風靡し、又「打撃の神様」と称えられる。
1961年 巨人軍監督就任(背番号16)
1965~73年 V9を達成(背番号77)。野球殿堂入り(1965)。
1974年 監督退任。
1992年 野球界初の文化功労者に選ばれる。

<生涯成績>
・2351安打
・181本塁打
・1319打点
・最優秀選手 3回
・首位打者  5回
・本塁打王  2回
・打点王   3回

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